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タイムマシンは作れない

僕の机の片隅、古くなって段々ときしみをあげながらも、まだ忠実にこの文章を打ち込まれているマッキントッシュの横に、いつまでも放置されていた使い捨てカメラがあった。
もう何年もそこにあったのに、黒い机に対して全く主張することのない、濃いブルーのカメラは、撮影の役目を終えたきり、ずっと忘れ去られていたのだ。当然のごとく、その中にどんなシーンが切り取られているか、覚えているわけもなく、元来大切な写真で無いからこそ、そこに放置されているはずである。僕はそのカメラを、使わなくなったMDウォークマンや、無言を決め込んでいるスナフキンの人形と同じように、単に机を狭くしているだけのオブジェとして、見過ごしてきたのだった。

最近撮った写真を現像に出そうと思い立った今日の昼間過ぎ、どういうわけだか突然、僕はその小さな青いオブジェの存在を思い出した。そして、そこに何が写されているのか、知りたくなったのだ。期待などは微塵もなく、ほんの些細な興味の一つとして。珍しく今日は、朝も早い内から行動していたので、すこしはゆとりなんてものがあったのだろう。僕は、鞄の中に最近とった写真のフィルムと、埃まみれになったその使い捨てカメラを放り込んで、駅前のプリントショップに現像に出しに行った。

夕方になって、その写真を受け取りに再びプリントショップを訪れると、昼間の時とは違う、無愛想な女性店員が、至って事務的に僕の差し出した用紙を処理し、手元の引き出しから、無愛想に紙袋を二つ探しあてた。「写真の確認をお願いします」と彼女は言い、一つの袋を選び、中から1枚目を無表情で取り出して見せた。こういう状況で写真が間違われていた事など経験に無かったし、大体からして、どちらの袋から選びだされるだろう写真にも、大した思い入れがあったわけでは無かったので、僕は端からどんな写真を見せられようと、直ぐに確認した意思を伝えようと思っていた。そして実際その通りに、提示された写真をチラと見ると「大丈夫です」と形式的に答えた。女性店員は全く無駄の無い動きで二つの袋をまとめて、ビニールの手提げ袋にいれると、その一連の作業の代償を要求してきた。僕は、小銭を確認しないで、大きめの紙幣で支払って、釣りを受け取って足早に店を出た。

その後、僕は電車のホームに移動しながら、先程から感じている違和感にゆっくりと思考を巡らせていた。それは、先程無愛想な店員に写真を見せられた時から続いていたものだった。何故だろう。僕は考えた。その一枚目の写真に写っていたのは、これといって写りが良いわけでもない、なんの変哲もない写真だった。被写体は人物、男性だった。僕が一瞬見た限りでは、その男性は座り込んでいて、顔を自らの手で覆っていた。だからその人物をパっとみて特定することは出来なかった。しかし、僕にはある予感があった。一瞬だけ見えた、その人物のシルエットと服装は、直接的に僕の心の中に、ある人物の名前を浮かび上がらせた。僕は電車に乗り込むと、直ぐにその一つの袋、それはつまり今日まで忘れ去られていた、青い使い捨てカメラによるもの、を取り出して、僕の予感を確認してみたのだった。

やはり間違いは無かった。そこに写っていたのは、座り込んで顔を覆い隠している、長谷川俊であった。背景は真っ暗で、そこが何処なのかは分からない。彼は厚手のパーカーを着込んでいて、どうやらそのシーンは、寒い時期に撮影されたようであった。僕にはその一連の写真達が、いつ頃、何の目的で撮られたものなのか、まだ全く分からなかった。そして2枚目の写真にはさらに驚かされることとなった。写っていたのは、また殆ど真っ暗な背景に浮かび上がる、寒そうな二つの横顔、上窪と林雨霖のものであったのだ。

以降の写真3、4枚に目を通す内に、全てははっきりと理解することが出来た。場所は渋谷o-nestだった。撮影されたのは3年前の3月のある日、僕が初めてヴォーカルとしてステージに立った日、林雨霖が日本のライブハウスで初めてドラムを叩いた日、高津大樹と出会ってほんの10日ばかりしかたっていないその日、つまりこのquizmasterが初めてライブを行った日である。

当時としてももう立派な成人としての年齢を迎えていたのにも関わらず、全員が少しあどけない表情で、さらに全ての写真が寒々とした空気を含んだ暗めのトーンで写されていた。この10日程前、僕と上窪と林雨霖の3人で活動していたquizmasterと高津大樹が出会い、そこに大学時代からの友人であった長谷川俊をサポートに迎えて、あまりに急場しのぎな、このバンドのデビューライブに漕ぎ着いたのであった。上窪と林雨霖はその一月前に共にライブを観に行き購入した、ソニックユースのTシャツの上に、上着を羽織っていた。高津は今でもお目にかかる、ギンガムチェックのシャツの上に、灰色のフード付きジャンパーを着ていた。長谷川は前髪を立たせていて、随分と若く、真面目な感じに見えた。僕はといえば、やはり野暮ったい上着と、中途半端な長さの髪をボサっと伸ばしていた。他のいくつかの写真には、そのどうしようも無かったであろうライブをわざわざ観にきてくれた友人達が写されていて、その中には、無邪気な笑顔でピースサインをしている、邑田航平の姿もあった。そして息子の日本での初舞台を観に来た、林雨霖の父親の姿も(といってもわざわざ台湾からではなく、仕事で日本に滞在しているついでではあったが)。

寒さや、この安いカメラが暗い空間を捉えきれなかったせいもあってか、全員が一様に冴えない風貌で、特別なものの何もない、在り来たりな日常の一つとしてそこに存在していた。僕のカメラであったから、当然ライブ本番の風景は一つも写っておらず、リハーサル前後の固い表情と、本番終了後の安堵だけが記録されていた。困難だった過去も、輝かしい未来も感じさせない、ただその夜だけの記憶を、この写真達は3年後の僕の手元に届けに来たのだった。

僕は心地よい電車の揺れの中で不思議な気持ちだった。この写真に写っていた、最初のステージの5人は、ほんの先程まで続いていた今年の夏、台湾で一緒の舞台に上がっているのだ。1人は孤高の弾き語りという形で、1人は台湾最高のロックバンドとして、そして残りはその彼等に助けられながらも浮かんだり沈んだりを繰り返す、quizmasterというしがないロックバンドとして。そして、僕はさらに進む急行電車の中で思う。それはつまり、この始まりの5人の殆どと、別れの選択をしてきたのだということを。長谷川はこの後直ぐに自らの生きるべき道を見つけ、林雨霖とはこの約半年後に離れ、翌年には彼は台湾に帰ることとなる。そして、今年の夏が終わり、高津も僕らとは別の道に歩き出して行く。確実なことは、この写真に切り取られた記憶のあの日、あの夜が無ければ、今ある全てもまた同様に無かったということだ。僕らはこうした一枚一枚の写真全てを重ねた、不安定な塔の頂上に立っていて、今もまた一枚、また一枚とそれを積み上げている。僕らは一瞬たりとも、その過去を疑うべきではないのだ。

quizmasterはこの日から何回ライブをやったことだろう。そして今後、また何回続けていくことが出来るだろう。夏の終わりと同時に、僕らの季節もまた一つ終わったと思っていた。しかし、どうやらそうでは無いのかも知れない。一つ一つは写真達のように、一つ一つ丁寧に終わっていくもので、新しい始まりがその度に僕らの前に現れる、それだけの事だと。

変わる季節の戸惑いが作り出した小さな偶然が、僕にこの写真達を運んできてくれた。忘れ去られていた、あの青い小さな使い捨てカメラは、3年前の3月のあの日から、今日という日に役目を果たす事を望んでいたのかもしれない。僕のiPodは邑田から半ば無理矢理にいれられたローリングストーンズの曲を流しているところだった。やけに明るく光る液晶でタイトルを確認すると、そこにはLet's Spend The Night Togetherと書いてあった。偶然とはいえ出来過ぎた一日のような気がした。
ss


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